渡辺コラム

孤独なオンリーワン(今の学校教育はどうなっている?)

最近、ネットやニュースで「社会人1年目が1日で退職した」という話が話題になっています。

「責任ある雰囲気が怖くなったのか」「自分には合わないと感じたのか」、理由は人それぞれでしょう。

しかし、正直すこし思慮の浅い行動のように思います。

1日で「自分に合う・合わない」は分かるのか?

入社1日目の仕事なんて、準備体操にもならない内容がほとんどです。 そこから少しずつ勉強し、訓練を受け、失敗を繰り返しながら、やっと人に喜んでもらえるようになり、その仕事の尊さや喜びを知る。これは昔も今も変わらない過程です。

最初の不安感だけで「合わない」と断定してしまうのは、あまりにもったいない。

しかし、その行動を責めるだけでは解決になりません。僕が気になるのは、彼らを育てた現代の教育システム、特に「オンリーワン教育(個の優先)」の弊害です。


「オンリーワン」という名の思考停止

個性を尊重する。一見素晴らしいことのように聞こえますが、その裏側で以下のような歪みが生まれているように見えてなりません。

  • 短所の放置: 「良くない所も個性」とされることで、改善の努力が不要になる。

  • 能力の停滞: 失敗を「個性」に置き換えてしまい、壁を乗り越える力が育たない。

  • 耐性の欠如: 否定されない環境で育つため、社会の荒波に対する「心の免疫」がつかない。

  • 孤立と不安: 比較を嫌って人と距離を置くため、摩擦に耐性ができず、むしろ孤独になる。

特に深刻なのは、「明確な基準(型)」を失ったことで、かえって同調圧力が強まっている点です。何が正解か分からないからこそ、過剰に「人の目」を気にしなければならないという、皮肉な矛盾の中に今の若者はいます。


「白紙の紙」を渡される恐怖

今の教育を極端に言えば、子供に真っ白な紙を渡し、「ここにお前の自分らしさを書け!それがお前だ!」と迫るようなものです。

もちろん、最初から迷わず書き込める子もいるでしょう。しかし、多くの子は書けません。 書けない子は、隣の子がなんて書いているかカンニングしたくなる(=人の目を気にする)。そして、ようやく無理やりひり出した言葉が「お前だ!」とレッテルを貼られ、固定化されてしまう。

「大人が言うのだから、これが正しいのだろう」 そう素直に信じた真面目な子ほど、この「自由という名の不自由」に強く縛られてしまいます。


本当の多様性は「教育の使い分け」にある

大谷翔平選手のように、最初から圧倒的な自分(オンリーワン)を持っている子にとっては、既存の枠にはめようとする教育はマイナスかもしれません。

しかし、まだ自分の形が見えない子にとっては、まずは「基準(型)」を持たせてあげる方が、迷いなく成長できるはずです。型があるからこそ、そこから外れたときに自分の個性に気づくことができる。たくさんの経験を積んだ先で、いずれ自分の言葉で「白紙」を埋められるようになる。それこそが、本物の「大器晩成なオンリーワン」ではないでしょうか。

十人十色、教育も多色であるべき

多様性の時代と言うのであれば、教育そのものがもっと柔軟に、その子の性質に合わせるべきです。

  • 自由に泳がせた方が伸びる子。

  • まずは「型」を学び、守ることで安心し、成長できる子。

そもそも「一律に良い教育」なんて存在しません。 「みんな違ってみんないい」と唱えるだけでなく、その「違い」に合わせた関わり方を大人が提供できているか。

「1日で辞める」という選択をした若者の背中には、そんな現代教育が影響しているような気がしてなりません。

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