渡辺コラム

人生の転機(社会人転職編)

社会人4年目。
僕が岡山県のH先生の下での漢方修行に一区切りを付けようとしている頃に、
H先生から教えてもらったド真剣接客で有名な滋賀県のK薬局のN店長の存在。

このタイミングでN店長を知ったのは、N店長の下で働けという神様の
お告げだ!と思い、僕はすぐにK薬局に電話しました。

岡山中医薬研究会の例会に来られることをH先生から聞いていたので、
その日にお話させていただきたいとお願いしたのです。

N店長はOKをくれていたものの、当日のN店長の人気があまりにも
すごく、N店長は常に誰かに捕まっている状態でした。
まさに引っ張りだこ。
結局僕と話すような時間はなく、後日N店長の方から連絡をしていただ
けるということでその日は終えたのでした。

それから1週間以上経ったものの、N店長からは全く連絡は来ず、、、
忙しくて忘れているのかな?と思い、こちらから電話を掛けたところ、

N店長「もう少し待っててください。1週間後くらいにまたこちらから
連絡します」

ということだったので、またしばらく待つことに。

それからさらに1週間待ったのですが、連絡は来ず、、、
再度連絡をしたところ、前回同様、「また連絡します」ということ。

それから、いくら待てど連絡はなく、この時点で僕も妻も、「N店長は
あやしい人」、というイメージに変わっていました。

それから連絡はないまま、年が明けました。
僕が当時勤めていた漢方薬局卒業まであと4ヵ月。
時間に迫られた僕は他の転職先を探すことにしました。

ネットでまずは情報収集。

調剤と一般販売を両方行っている会社や、生薬問屋に魅かれたのですが、
生薬問屋は検査ばかりの仕事ということでしたので、人と接したい僕は
調剤と一般販売を両方行っているR社の見学に行くことにしました。

その頃、薬剤師はかなりの売り手市場だったので、見学に行けばお願い
もしていないのに、内定をもらえてしまうということが当たり前でした。

案の定内定をもらったものの複雑な気持ちでいる僕。
その会社は僕が思っていたよりも調剤業務にウエイトが置かれおり、
あまり相談販売をしているような感じがなかったからです。

これまで学んだきた漢方の知識を活かせない。

そろそろ返事をしないとなぁと思っていた2月初旬、
N店長から電話がかかってきたのです。

最後に連絡をとってから1ヵ月以上経っていました。

N店長「渡辺先生、滋賀に一度来ていただけませんか?」

僕の心の声
「えっ?このタイミングで?早く連絡くれないから他の会社に見学に
 行って、 内定までもらってしまったじゃないか。なんかすごく振り回され
 てる。やっぱり信用できない。でも内定をもらった会社にはあまり
 魅力を感じなかったのも事実」

僕「いつ行かせてもらえばいいですか?」

まだ内定をもらった会社には返事をしていないし、とりあえず比べて
みようと思ったのです。
そして思ったような会社でなければどちらも断ろうとも思っていました。

目的地まで、岡山市から京都まで新幹線、京都から草津まで新快速、
そこから草津線に乗って三雲駅で下車。

草津線は単線で、移動中どんどん建物が減り、その代わりに増える田畑。
明らかに田舎に向かっている!!
田舎好きな僕はとてもテンションが上がっていました。

三雲駅ではY課長が迎えにきてくれていました。
細くて腰の低い、見るからに優しいオーラの漂う人。

本社に着くと、調剤部長と経理部部長と販売部部長でもあったN店長が
出迎えてくれました。

・・・これが組織の雰囲気というものか!?

3人の重役に囲まれたためか、感じる重圧。
僕は、これまで1~2店舗で経営している会社でばかり働いており、
優しい社長とその他従業員というアットホームな感じばかりだったのですが、
100人規模の会社の部長が3人揃った空気はピリッとしていました。

僕は、これまで学んできた漢方の知識を活かしたいこと、将来的には
開業したいと思っており、御社に勤めても3年程度の修行と考えていること、
こちらの想いや計画を伝えました。
3年と言ってしまうと、「育ったころに辞めるのか」と思われそう
でしたが、今の薬剤師不足は大変なものなので、あらかじめ伝えていた方が、
会社としても準備ができるというもの、とも思っていました。

僕は、これまでの流れから本当にちゃんとした会社なのか??と疑って
ここまで来たのですが、いろいろと話を聞かせていただいている内に、
「やっぱりお客さんのために真剣な会社だ!」と感じました。

そして、気持ちの高ぶった僕はその場で就職を決めてしまったのです。

帰りの三雲駅で妻に就職を決めたことを伝えた時の、「は~?」という
反応は今でも覚えています。

翌日、すでに内定をもらっていた会社に辞退の電話を入れました。

4年間お世話になった漢方薬局を退社し滋賀に移るまで、妻の実家の
北海道芽室町でゆっくりさせてもらいました。

その岡山から北海道への道中で、再度滋賀に寄り、アパートを決めたり、
前回はお会いできなかったF社長とお食事をご一緒させていただきました。

期待と夢に胸躍らせて滋賀での生活がスタートするのでした。
(2007年5月・妻は妊娠8ヵ月)

わたなべ もとき

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